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沿革

日照山無量寿院極楽寺は、嘉禎3年(1237年)本郷町船木字川西の極楽谷へ、浄土宗第3祖良忠上人布教の際、阿弥陀仏を彫刻され開山されました。
それか ら約350年後の三原城築城の時、糸碕神社裏糸崎谷に移築され、そして又、城下整備の一環として寛文年間(1661~72)城主浅野家の家臣によって現在地に再度移されました。
境内に併設された青山コレクション達磨記念堂は、毎年二月に開催される三原神明市(別名だるま市ともよばれる)の地元、極楽寺石井 住職が収集した約1000個の達磨に加え、達磨コレクターの青山昭美さんのコレクション6000個の寄贈を受け開設した文字通り日本一の規模を誇る達磨の 展示館です。コレクションは、日本全国を網羅して集められていおり、江戸時代につくられた珍しい陶磁器製の達磨など、学術的価値も高く、研究家・愛好家の 垂涎の的です。

本堂は、江戸時代中期に建立された浄土宗の建物で、向拝を設けない簡素な造りであり、全体的に素朴な構成で統一されています。浄土宗の本堂は内陣を結界で 仕切るのが一般的ですが、極楽寺本堂のように結界そのものが残っているのは、非常に少ないです。 また、背面屋根の錣葺(しころぶき)は広島県の近世寺社建築の特徴の1つです。日照山無量寿院極楽寺は、嘉禎3年(1237年)本郷町船木字川西の極楽谷 へ、浄土宗第3祖良忠上人布教の際、阿弥陀仏を彫刻され開山されました。
それから約350年後の三原城築城の時、糸碕神社裏糸崎谷に移築され、そして又、城下整備の一環として寛文年間(1661〜72)城主浅野家の家臣によって現在地に再度移されました。

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